「厭離穢土」は「飛翔」に非ず。


敢えて、ピンぼけ。
by suw_wakai
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孝と「孝」のこと

このブログに、非公開で高校時代の友達が投稿してくれて、私の返事だけがあからさまになっています。
私が書いた内容から、友達が書いたおおよそは察しがつくでしょうが、私が「一番先に聞きたい」と書いた孝のことを少し書いておこうと思います。

孝は、『掌の小石』の舞台で生まれ育った私の幼なじみです。
家は7、80mも離れておらず、保育所、小学校、中学校、高校では(当時の仙台は男女共学校が一校しかなく、孝は共学校より若干レベルの高い県立男子校でした)音楽活動で一緒になり、おまけに大学まで同じ。にも拘らず、同じクラス、同じ学部になったことはないのでした。孝は、神出鬼没の如く、気づいたら、近くにいたり、いなかったり。

中学で剣道部に最初に入っていたのは私(女子の入部は30年ぶりで市内の中学にもいなかったから、最初の中体連は市内で不戦勝、県大会では数秒で負けました)、生徒会の書記に先に立候補したもの私、音楽サークルで先に歌っていたのも私。なのに、知らない間に孝も入部してたり、立候補してたり、ギターを弾いていたり。まさか、大学も一緒だとは思わなかった。英語が好きで高校の先生に紹介されたフィリピンの女の子と文通していたから、てっきり東京外語大に入るのだと思ってた。

孝は剣道部主将で、私は紅一点の選手をやるよりもマネージャーがやるべきお世話仕事のほうが楽しくて、孝の「ありがとなー」をたくさん聞けて、ほのぼの嬉しい気分になってました。地と血が近い同志の気分と言っていいかも知れない。

私の高校時代は『無花果日誌』に近い環境ですが、実際の私といえば、美術室で一人で絵を描いているか、鬱に漂っているか、詩を書いているか、歌をうたっているか(その頃はニューミュージックという括りは出来たものの、政治的思想が抜けた感性だけのフォークソングといっていいようなもの)、自分の都合がいい時だけの孤独に浸ってました。
大学に入ってからの私は、シンガーソングライターになるつもりで様々なコンテストに出たり、ラジオに出たり、ライブハウスで歌ったりしたのですが、いつだったかの大学祭でライブをやっていた孝のギターテクニックの凄さに圧倒されてしまったのでした。(この大学祭で会ったのが最後です。25、6年前になるのかな)
孝は剣道でもそうでした。理論と技術を完全に把握した上で体現する。しかも、独学で。すごいったらありゃしない、開いた口が塞がらない、としか言いようがない、そういうレベルで。

孝は私が同級生の中で、唯一、尊敬出来る男子でした。頭脳明晰、礼儀正しく、色白で、ハンサム。神経質なくらい繊細で、理知的で、クール。にも拘らず、あったかくて、やさしい。特に高校時代に孝の家を訪ねた時や(ふたりとも、別の土地に引っ越してましたが)その後の、孝によるお母さん(超美人)への評価が可愛らしくて、優しく、しかも客観性があって、しみじみ憧れたものでした。ま、完璧過ぎて、ダメ男に引き込まれる質の私の好みではなかったです。
中学の生徒会での同じ書記も、私のほうがいっぱい仕事してた気がして、孝が何をしてたのか覚えていない。男子は朝礼の時の国旗掲揚だったっけ?私はマイクを持って「ただいまから、朝の生徒集会をおこないます」ってやつとか、ガリ版の原稿書きとか板書とか、文化祭のDJとか、運動会の進行アナウンスとか。懐かしいな…。私が知らないところで働いていたんだろうな…たぶん。

その後、大学を卒業して10年以上も経った1994年だったか、その辺りの8月13日前後になると、夢に決まって「孝」が出て来ました。
「よぉ、元気かー?」と孝が、にはーっと笑いながら登場するのです。白い肌の、唇の斜め上にあるホクロも見えてます。
「だいじょうぶだ、だいじょうぶ」と肩を叩いたり、ふたりともぼろぼろの姿でデュエットしてたり、溜め池やら川やら、水でもがいた挙げ句、孝が私を先に陸にあげてくれたり。
お盆の前後、何年か続けて「孝」が夢に出て来たことで、てっきり私は、孝は死んだのだ、と思いました。
実家を知っているのだから、調べればわかるのですが、故郷と疎遠でいたかった当時の私は調べもせず、次のお盆にも「孝」の夢を見ていたのでした。

お盆になると夢に出て来た「孝」の正体は、明治初めの8/13に24歳でコレラで死んだ、母方の先祖の村主栄五郎さんに違いないのでした(村主は「すぐり」ではなく、そのまま「むらぬし」と読みます)。
死んで魂だけになった栄五郎さんが孝の生身を借りたのだとしたら、それはそれは大正解でした。
孝なら、疑いの欠片も抱かず、芯からの尊敬と、さらりとした一定の距離を保った親しみがあったからです。
栄五郎さんは、私の幼い時分から自分の存在を知らせていたのでしょうが、受信器としての私が気づかなかったので、孝の肉体と感性を借りたのかも知れません。

いつのまにか、お盆に「孝」の夢を見ることはなくなりました。母方の実家に栄五郎さんの存在を知らせたのがきっかけです。栄五郎さんの霊を特に気にかけて供養してほしい、と頼んだのです。
墓石に書いてある享年の月日8/13が旧暦だったら現在とは違うのだけど、魂だけになった栄五郎さんの意思はつまびらかではありません。

古い友達から、孝が今も音楽をやっている、と知らされて、私は「孝が生きててよかった…」と胸を撫で下ろすばかりです。
昨年9月、友達が孝に会った時に私のことを話して、孝が「すっごく懐かしがって」くれたそうで、それだけで、満足です。

長生きしているうちの奇跡的偶然に因る、いつの日かの再会を楽しみにしています。孝のメールアドレスも書き添えてもらったけど、こちらから書くのは、やめときます。恥ずかしいから。
様々な光景、エピソードが思い出される、それだけでいいのです。いますぐ会ってみたいけど、血圧が上がり過ぎて即死しちゃいそうだもの。
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by suw_wakai | 2006-01-08 11:48
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